2020東京パラリンピックで福岡県出身の選手も頑張っているようです。
インターネットで久留米市出身の田中選手の記事が出ていました。
「親が『障害』になってはいけない」母の決断が結実したテコンドー田中光哉、初の夢舞台
西日本スポーツ 2021年9月3日 6時15分
東京パラリンピック第10日の2日、テコンドー男子61キロ級に田中光哉(ブリストル・マイヤーズスクイブ)=福岡県久留米市出身=が出場した。競技歴4年半で初めて挑んだ夢の舞台。準々決勝で敗れ、敗者復活戦でも勝利に届かなかった。コートを降りると悔し涙が止まらなかった。
「夢を目指す過程で、たくさんの方が支えてくれたおかげで、ここに立てた」と実感を込めた。先天的に両肘から先に障害がある。
母の千絵さん(58)は幼少期の田中がプールに行く際、どうやって手を隠そうか考えたことがあったというが、その気持ちは胸にしまったという。「それを続けたら、この先どうなるんだろうと思った。親が『障害』になって可能性を狭めてはいけないと感じた」。
母に見守られ、幼少期は両手で竹刀を持って剣道、小学校高学年からは健常者に交じってサッカーに熱中した。
久留米高、名桜大を経て、東京都障害者スポーツ協会に勤務。2017年2月にパラアスリートとして東京大会を目指すことを決意した。「障害があっても格闘技はできるし、力強く闘う姿を見てもらいたかった」。176センチの長身を生かすため、19年6月に75キロ級から転向。10キロ以上の厳しい減量に耐え、競技歴3年で代表をつかんだ。
敗者復活戦ではリードを許した2ラウンド目に正確な蹴りでポイントを重ね、3ラウンド目も追い上げた。「そこで点を取れなかったのが力不足」。悔し涙を拭った田中は「パリまで3年。もっと強くなれる」と誓う。自分の可能性を信じ続ける。(松田達也)
母親として、手を出さずにジッと見守り続ける強さが田中選手を育てたのですね。(A.A)