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光正寺古墳公園

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年1月1日更新

 
 光正寺古墳

光正寺古墳の概要 

光正寺古墳の築造年代は、第1主体部から出土した古式の土師器甕の制作年代から3世紀中頃から後半と考えられ、県内の前期古墳の中でも最古期の古墳に位置づけられます。また、光正寺古墳は糟屋郡内最大の前方後円墳であることから古墳の被葬者は、当時糟屋地域を支配した豪族(王?)の墓と考えられます。
中国の「魏志倭人伝」には3世紀中ごろの日本が「倭国」として紹介されています。その倭国には色々な国があったことが記されています。その中で福岡市域(奴国=なこく)の隣にあったとされる「不彌国=ふみこく」ではないかと考えられます。不彌国の所在地は「嘉穂説」と「宇美説(粕屋)」に分かれていますが、光正寺古墳の調査で「宇美説=粕屋平野説」が有力な地域として考えられるようになりました。

墳丘施設の特徴

墳丘規模は全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成の糟屋郡内最大の前方後円墳です。
古墳は、標高46m前後の東西方向に延びる、丘陵上に築かれています。古墳の築造は、地山整形により1段目と2段目のテラスが作り出されています。2段目のテラスより上位は盛り土を行っています。墳丘周囲には2段目以上で葺石が施されています。

埋葬施設の特徴

埋葬施設は、後円部中央に第1主体(築造当初の墓で大型の箱式石棺)を埋置しています。第1主体部は、大型の箱式石棺を川原石で囲んでいます。墓壙の規模は長軸で約6m、幅約4mで箱式石棺の石材は、安山岩の板石や緑色片岩、滑石などが使用されています。
第2主体部は第1主体部の北東側に箱式石棺が築かれていました。石棺は昭和40年代には露出していたため、その後破壊されていました。
第3主体部(割竹形木棺)は第1主体の南側で棺の腐食によって陥没した溝状遺構と埋め土の上に置かれていた土師器椀が出土しています。
第4主体部(土器棺)は第3主体部東南角で出土しました。この時期の土器棺としては福岡県で最大級の大きさです。
第5主体部(箱式石棺)は第1主体部西側でを確認しました。
主体部は第1から第4主体部が、主軸を東西方向に整然と並べて築かれ、頭位は西に向けていたと推定されます。これに対し、第5主体部は南北方向に主軸を向けて造られています。
以上から主体部の築造順位は第1→2・3→4→5主体部の順に造られたようです。

古墳公園の概要と利用について

公園の駐車場は、午前9時から午後5時まで利用できます。

大型車の駐車は事前に、シティプロモーション課に申し込んで下さい。

光正寺古墳の問い合わせは

シティプロモーション課 電話 092-934-2370
宇美町立歴史民俗資料館 電話 092-932-0011